昭和46年1月31日 特別奉修委員
                             中村良一


この頃、おかげを頂いて、私の糖尿病のほうも、非常に糖が、まぁ、少しばっかりしか出らんぐらいに、おかげを頂いておりますが。これは、不思議なことに、あの、佐田さんの所から、(?)甘い、もうとにかく、甘い甘い飲み物がございますけれど、それを喜んだ時があります。それを、段々、水代わりに頂くのですから。あれを頂くようになってから、糖が減った、あの、減って行きますという事を、あの、気付かせて頂いたんですけれどね。いうならば、佐田さんの真心。そすと、私が、またね、真心で頂く。それこそ、毒薬を変じて薬にするという、真心と言うのは。本当は、反対でなからにゃいかんでしょう。あんなに甘いものを、ね。糖尿は採ってならないと言う。けれども、その、真心と真心とが出会う時にね。だから、これは、折角頂いたばってん、糖尿病にはいくまいち言うたら、もう、それ迄のこと。けれども、あちらの真心はね。もう、ひた受けに真心で受けると、こう言わっしゃる。それをご承知です。
今朝からの御理解においても、そうですけれども、神様が、私共に、この真、真心を持って、現れてくださらないはずは、絶対ないと思わにゃいかんですね。氏子可愛いという一念だけしかないて、この神様は。ね。ですから、私共が、ほんなら、それを、真心で受けなければならん。だから、真心と真心が出会うから、おかげになるのですよ。ね。ですから、ほんなら、神様が、氏子可愛いと言うて下さる、その、一念の現われが、その、場合には、病気になって現れたり、難儀な事になって現れたりする訳なんです。そこで、肉眼をおいて、心眼を開かんと、それが、神様の、いわば、真心という事が分からんのです。ね。神様が、この様にまでしてと言う、その真心が分からんから、ね。おかげにならんのです。それを、真心として、神様の真心として、私共は、真心を以って、有難いといただいていくところに、なるほど、真心と真心が、それこそ、毒薬でも変じて、薬にするようなおかげになっていくのだと思いますね。どうぞ。